教育の未来予想図⑤(まとめ①)

ここまで読んでいただき感謝します。異論があったり、私の考えに違和感を感じたりしているみなさんもおられることを承知の上で、まとめをお伝えします。

1987  国鉄民営化→国労分裂、組合活動の衰退

三角大福中の最後に首相になった中曽根康弘は国民の反国鉄意識や国鉄解体の世論を巧みに活用して、国鉄を民営化しJR を誕生させました。

しかし、中曽根首相のねらう本丸はそれではなく、国労の弱体化によって国内の労働運動、組合活動を潰してしまうことでした。悔しいですが、したたかな政治家でした。そしてそのねらいは見事に的中しました。1987から50年近く経ちましたが、日本の労働組合は組織率を毎年すごい割合で落としてゆき、今ではもう壊滅状態です。ストライキということばもほとんど聞かなくなりました。各労働組合が団結して統一した労働運動や闘争による要求実現はなくなり、自己責任ということばが一気に市民権を得ました。あれから約50年後、その結果として今では働き方改革を官民あげて推進せざるを得ない状況に追い込まれているのは、何とも皮肉な話です。

今度の教育改革にも公表される表のねらいはあるのでしょう。ということであれば、紙の表裏が切り離せないように、必ず裏のねらいもあるはずです。それは公教育を崩壊させ私学で学ばせることだと私は考えています。全員が私学に通えるわけではなく、富裕層や頭脳明晰、特別な才能などを有するこどもに限られるでしょう。そして予算が集中投下され、ひとりひとりの特性を活かし伸ばす手厚い教育がなされます。

一方で、そのグループに入れなかった大半のこどもたちが通うのが公立学校です。個人の特性や個性を伸ばすような教育ではなく、日本人としてのアイデンティティを育むことは必然で、卒業後には誇りある日本人として且つ良き働き手となるような教育がなされるはずです。予算がないので週三日制または四日制の導入も可能性があります。一週間に3日か4日通学し、残りの日はフリー。自己責任の原則のもと、習い事や遊びなど家庭が判断してすごすのですが、習い事などに通わせる余裕のない家のこどもたちはどうすれば良いのでしょうか。

学校選択制という保護者がこどもの通学校を選ぶ制度があります。今度は学校がこどもを選ぶのです。現場も保護者の中にも反対の声は上がるでしょうが、既に教職員組合に力はなく大人社会の連帯連携も薄い状況では、時間がかかっても政権与党が中曽根首相のように本気なら成立します。これだけのことを強引に進めても選挙権を行使する国民は50%もいません。半数以上の人には他人事なのですから、政権側はこわいもの無しです。

これらの改正の目的は一つです。「民間活力の活用」といえば耳触りはいいですが、結局は教育にお金をかけないということです。税収が伸びない現状で、教育への投資はコストがかかりすぎる。いわゆるコスパが高いと認識されているのです。

経済の世界では「失われた20年」という日本経済を示すことばがあります。教育の世界でも1988年(平成元年)公布の学習指導要領で求められた「新学力観」に基づく「失われた20年」の教育により、先輩たちから引き継いできた様々な研究・教育技術・教育哲学がぷつりと切れてしまいました。(国鉄民営化は1987年でした)

そのタイミングで若手の先生がどっと増えました。多数派の彼らは次のことばをよく言います。

「組合入ったら何か得することありますか」

教育はしんどいこと9:楽しいうれしい1の世界です。持ち出しや与えるばかりで、得になることなどまずありません。「教育は得か損かのモノサシでは測れないのですよ」という声は、ほぼほぼ届きません。

また、効率を重視して仕事をすることも特徴です。効率性を上げて事務処理などにかかることは大切です。しかし、こどもへの具体的な日々の指導での効率重視は間違いです。その価値観の下では、いわゆる「しんどい」こどもたちは切り捨てられます。一人ひとりを大事にする教育(人権教育)とは真逆の教育です。先に述べた私学優遇策が実現すれば、公立校にはこのようなこどもたちが集まってきます。そのとき、どうするのでしょう。

このような教育の根幹を学んでいない、学ぼうとしないで平気なこと。そして、少しの投資でハイリターンを求める新自由主義に染められてしまうのはなぜなのでしょうか。

 

🌾まとめの予定でしたが、続きはまとめ②にて。

                 2023.09.20