君の為のキミノウタ

新年度が始まる4月1日が月曜日でした。今日が木曜日なので4日目の勤務で疲れもピークの方は多いのではないでしょうか。特に、初任の方や新しい職場や部署などへ異動された方は、心身ともにお疲れ度は半端ないでしょう。(かつて私はその一人でした) 

早く土日の休みにならないかなぁという気持ち,わかります。一方で学校現場では入学式や始業式の準備があり、こどもたちとの新しい出会いにワクワクする気持ちも湧いてきます。「一人ひとりのお子さんに、それぞれの花がある」(人それぞれに花あり)ことをもう一度思い出して、あと一日、精一杯準備してください。

 

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川崎鷹也の「君の為のキミノウタ」です。

「君」を担当するこどもさんの名前や君たちに変えて読んだり、歌ったりすると元気がでますよ、たぶん。

 

ねぇ、知ってる?今の日本の人口は
ねぇ、知ってる?1億2000万強らしい
ねぇ、知ってる?今の世界の人口は
ねぇ、知ってる?70と4億くらいらしい

君のことだから今から僕が言いたいこと
大体分かってるもう予想ついてんだろう
その予想の遥か上の上 伝わるか分からないけど
僕の言葉で 僕の声で 僕の歌で

君がこの世に生まれたこの奇跡は
僕が君と出会えたこの奇跡は
今も信じられないこの景色が
君への想い溢れて仕方ないや
137億年の中の一瞬のこの命だけど
君のためだけに捧ぐから

 

ねぇ、知ってる?今の僕の心の中
ねぇ、知ってる?実はすごく不安で
ねぇ、知ってる?今の僕の胸の奥
ねぇ、知ってる?実はすごく怖いんだ

君が魅力的で愛しすぎて笑う度に
本当に僕でいいの?ここでいいの?
考えて眠れないんだ
『君でいいよ 君がいいの ありのままで』
君はそう言うよ それも分かってるんだよ

君がこの世に生まれたこの奇跡は
僕が君と出会えたこの奇跡は
今も信じられないこの景色が
君への想い溢れて仕方ないや

君がこの世に生まれたこの奇跡は
僕が君と出会えたこの奇跡は
誰にも邪魔させないこの時間は
君への愛溢れて仕方ないや

137億年の中の一瞬のこの命だけど
君のためだけに捧ぐから
君のためだけに歌うから
 
これは君のためだけのキミノウタ

第2期 国語の教室

2022年4月1日に開講した、塾ではない国語の教室は本日25日の授業で本年度の学習を終えます。

手探りでの指導でした。通ってくるこどもたちは熱心に勉強し続け、一人ひとりが自分の目標を超えていきました。

今月に入ってから『この一年間(二年間)で成長したと思うこと』を作文してきました。中学年は200字程度 高学年は400字程度の条件付きです。いわゆる生活作文とは違って抽象度が高めの内容です。この字数の制約はハードルが高いように見えましたが、こどもたちは内容と字数の課題をクリアしていました。

国語の教室に来た頃は「作文書きたくい、書くことない、書き方わからない…」と、ないないづくしでした。そのこどもたちが一生懸命に今と昔の自分を比較して、ことばを懸命に紡ぎ、自分の思いや考えを保護者のみなさんと私に伝えようとしていたあの時間。手探りではありましたが、積み重ねてきた国語学習の方向と内容は間違っていなかったという確信を与えてくれました。

学校では本日、修了式が行われ担任から通知票が一人ひとりに手渡されます。

国語科の評価項目をよく読んで、一つひとつの評価(◯や△など)と所見を丁寧にみてほしいと思います。国語の教室で学んだことが学校で活かされているかのリトマス紙になります。 

 

 

支援教育のエッセンス

偶然出あった本からたくさんの学びを得たとき、ものすごく幸せな気分になることってありませんか。先日、正にそのような一冊にめぐりあいました。それが『先生が明日からできること』(杉並けやき出版)著者は金子晴恵さんです。

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内容は支援教育について目から鱗の具体的なアドバイスがてんこ盛りです。どのページからでも読めます。

目次

はじめに 〜子どものせいにしない〜

1章 先生の「こだわり」を捨てる

2章 「授業」は先生の最大の武器

3章 先生必見‼︎「べからず」集

4章 「なぜ」から支援の手がかりを

5章 まわりの子を育てる

おわりに 〜教育のユニバーサルデザイン

 

特に5章の内容は先日の学習会で話したことに通じていたこともあり、たいへん勉強になりました。140ぺージの小さな本ですが、中身はずしりと重く感じる一冊です。

今年度の実践の振り返りと新年度の実践の準備に向けて、おすすめの本です。

 

 

釣り方を教える

2月の半ばを過ぎ、2023年度第3学期は残り一か月を切りました。先日「よいお年を」や「明けましておめでとうございます」などの挨拶を交わしていたように思うのですが。

塾ではない国語の教室では、この時期に新年度の学習説明会を開いて、新年度を迎える準備が始まります。

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お答えします 3

更新しないままで時間だけが過ぎていきました。拙文へのお尋ねにお応えする3回目(最終回)です。

kiramekituzuriさんのコメントを引用します。

〈他の先生の発問でないとすれば、なぜtakehasinayakaさんは、これだけの自信を持っておられながら、①この発問の可否を問われたのか?
私の今回の疑問の焦点は、そこにあるのだと思います。
何かご自身で、ひっかかる出来事がお有りだったのだろうか?と。もし有ったとしたら、それはどんなことだったのだろうか?と疑問は続きます。

そして、②教科内容の「文章を検討し作者や筆者の主張を正しく理解し批評する力を付けること」とは、更に何のために行われるのでしょうか?とも。〉

①この発問のねらい(目的)は、読者に全文を隈なく読ませることです。

そのためには、読者である生徒たちの興味関心を引き出し、学習内容が明解であることが必要です。

それらを踏まえて作った発問ですが、あくまでも今のところ仮説です。多くの方に検討してもらい、精度を高めたいからです。

②児童生徒の国語力(特に言語力)を高めることは人間の成長に欠かせないのです。

相手の主張や筆者の考えの正否はまず横に置いて、主張や考えを正確に理解する必要があります。その後に自分の判断を示すのが正道ですが、個人の言語力がやせ細ってきた現状では、鵜呑みして騙されるか、誤って理解するか、あるいは誤魔化される可能性が高まっています。

国語力は全ての教科の根っこであり、ひとり一人の基盤だと私は考えていますので、お尋ねのような指導を長年してきたつもりです。

追記 長年してきました と言い切れないのがつらいところです

 

お答えします 2 

続いてはkiramekituzuriさんからのお尋ねです。

何のために、この話し手が男性か女性かと聞くのか

発問する側にはっきりとした狙いがあれば別ですが、もし単に他に聞く糸口がないので聞いた、というのならば、今の御時世、それは意味がないこと、とされてしまうかもしれません。 しかし、それを聞くことで、どんな文章や会話からも、相手がどんな人なのか?と例え相手が見えなくとも、相手を観察し深く理解しようとする力を育む、というのなら話は別かと思いました。 さて、この発問は果たしてどなたがなさったものでしょうか?第三者ですか?それともtakehasinayakaさんでしょうか?

お答え②

私が考えた発問です。理由は一つです。こどもたちに全文を丁寧に読ませるためです。そのために学習課題はわかりやすく、おもしろそうで、ねらいに則していることが必要です。今回の問いの有効性はまだわかりません。ただkiramekituzuriさんもshizukuさんもこの問いについて本文を読み直し、深く考えておられることは明らかです。おそらく中学2年生も取り組んでくれるだろうと期待しています。

この問いは漫然と読み直さないこと、他の人の考えを聞いてもう一度自分の考えを練り直すことも

ひそかに期待しています。kiramekituzuriさんが

提案されている内容に切り込む発問ではありません。発問は指導内容によって変わります。

では、なぜ文章を検討させる必要があるのでしょうか。

それは、文章を検討し作者や筆者の主張を正しく理解し批評する力を付けることは、国語科の『教科内容』の一つだからです。

この後、kiramekituzuriさんから別のお尋ねがありました。それらへのお答えは次号で。

お答えします 1

前号『セミロングホームルーム』にお二人もコメントを寄せてくださいました。ありがとうございます。

お二人からいくつかお尋ねがありました。コメント欄は小さくて書きにくい、読みにくいのでコチラ本文のスペースに私の意見を述べます。

 

まずチャチャっこ♫さんからのお尋ねです。

「私(竹内)」と言っているので女性だと思って読んでいましたが、男性の可能性もあるんでしょうか。

お答え①

私も一読したとき語り手の私(竹内)は女の子だと考えていました。ところが国語の教室に来ている他市の中学生のクラスでは、男の子だと普通に考えていることを知り、驚かされたのです。

そこで、男子女子がはっきりする証拠を探してみたところ、女性の可能性は高いのですがハッキリした証拠がみあたらないのです。私という呼称、さし絵からの類推なども決定打にはならなかったです。

そうなると、語り手をこのように設定した意図や効果について検討が始まることが予想されます。