体験や学習したことを言語化しない、できない。
=箪笥の引き出しに洗濯物をたたまず放り込む。
=必要な場面で活用できない
という式が成り立つと私は考えている。
多くの人は洗濯物をできるだけ小さく、取り出しやすく収納しているだろう。
言語化も同じことだ。学んだことや体験したことを短くて分かりやすいことばに変換(要約)できて、初めてそれらは自分の血や肉となる。
読書して心が動き、気持ちが高まる。しかし、日頃から言語化していないと、その言いようがない感情や想いを伝えることばがなかなか見つからない。それは引き出しを開けてもくちゃくちゃのままでは、着たい服がそこにあるかないかさえわからないのと同じことである。
文房具店を覗いてみると、色鉛筆売場には7色、12色、24色セットが主に売られている。それらの色で伝えたいことが表せる間はいいのだが、人は成長していくにつれて、だんだんとそれらでは間に合わなく(しっくりこなく)なっていく。
100色、200色ーの色鉛筆がほしいけれども、売場には置いていない。だとすると、手持ちの鉛筆を工夫して、なんとか描きたいものに近づけていくことが最善の手立てだろう。
読書感想文の難しさは、多くのこどもがこの工夫の仕方を学んでいないことにある。だが、裏から見ると、それはまだまだ伸びしろがあるということでもある。私はその可能性に夢と期待をかけている。
2023.08.24