世代交代の期間に大量採用された学生や社会人は、私が見る限りは「文章が書けない・本を読まない・メンタルが弱い」傾向にあり、根拠のない自信家も多いように思います。教育の世界に足を踏み入れたのは特に志があったわけではなく、ブラックと称される教職ですが就職先がなかったので仕方なくの選択だったと推察できます。純粋な教職志望者は減っているのです。
考えることを不得手とする人たちなので、価値基準はシンプルに「得か損か」になるのでしょう。
最少の投資で最大の成果を得ることは全くの得なことですから、新自由主義にハマることは想像に難くありません。
しかし、教育の世界ではその原理は当てはまらないことが多いのです。その結果、教室は混乱し保護者から意見が出され、精神的に疲れが溜まり休職するという過程を最近よく見聞きします。
ここまで教育の最前線である学校や教員について私見を述べてきました。現状から判断すると、このまま流れに乗っていけば、前回書いたように間違いなく公教育は瓦解するでしょう。その兆しは既にあります。その事態は日本社会の構造が変わることを意味します。それを政府は「構造改革」とでも名付けるのでしょうか。
けれども、教室のこどもたちはモノやカネではありません。一人ひとりが、かけがえのない大切なこどもであり、今日も命いっぱい生きています。
最近では報道関係でさえ人間ということばより、人材ということばを使うことが多いので、違和感を覚えにくくなっているのかもしれないですが、人材と人間とは同じではありません。似て非なるものです。
私たちはこどもを人材ではなく、『人間』として育てているということを、改めて確認することが大切です。
教職は苦労は多いですが、やりがいがあり、一生をかけるだけの価値と魅力のある仕事です。
熱いハートを持つ人がたくさん仲間に加わってくれる事を願いながら、筆を置きます
こどもは私たちの希望です。 (完)
2023.09.20