教育の未来予想図②

おはようございます。連休の中日です。今日も暑くなりそうですね。みなさん、体調を崩しませんように。

さて、公教育の未来についてです。私が悲観的に考える理由です。

まずは、公教育という制度は内田樹が言うように制度の急激な大きな改革や変更を嫌う惰性度の高い構造だからです。もし、「明日から公立学校は週3日制になります」と政府がアナウンスしたら、たとえ1年後、3年後としても、国民(特にこどもが学齢期の保護者さんたち)の多くは反対するでしょう。なぜなら、制度の変更が我が子にとって受験面など不利益に働く可能性が高くなると考えられるからです。また、高いリスクを払っても日本の未来のために協力しようと考えたり、行動したりする層は、現状ではとても薄いと思われるからです。北斗の拳で言えば、レジスタンスに立ちあがったリンやバットがいないようなものです。

歴史を振り返れば、明治から令和まで教育全般の制度改革は、明治の学制改革と戦後の教育改革の2回しかありません。どちらも国内が大混乱していた時代でした。国民にとっては、明日のことより今日の米をどうするかの方に関心があったのでしょう。国内中が今日生きのびることを最優先する状況だから、可能であった改革だったといえます。

現在は物価高で生活が苦しくなっていますが、まだ先の例ほどではありません。それなのに、私たちの公教育への関心はあまりにも低くないでしょうか。

先日内閣改造が行われましたが、新しい文部科学大臣が誰なのかご存知の人はどれぐらいいるのでしょう。各省庁間での文科省の序列もそう高くないはずです。歴代の大臣の名前や経歴を見れば明らかです。予算の配分でも同じです。政府の中でも弱い立場ですから小中学校の30人学級、いえいえ35人学級でさえまだ完遂していません。

予算や政策などが他の先進国と比較してたいへん低い水準だと指摘されてれて少なくとも10年以上経過しました。それなりに文科省も対応策を立案し、全国に指示しました。しかし、いじめ問題、不登校のこどもの増加、学力重視の教育、学力の二分化、人間不在の教育などなど課題は次々に。そして、今日もいたましい報道等がなされる。その繰り返しではなかったですか?

「教育は国家100年の計」と言われますが、官民あげてまだその重要性に気づいていないこと。言い換えると、今もこれから先も自分に火の粉がかからないかぎり他人事になりやすいのが「教育」という世界であり分野なのです。

人は見えてるものしか見ない。

これが公教育の未来に悲観的になる理由の一つ目であり一丁目一番地です。(次号に続きます) 

                 2023.09.17